ロシアの帝国主義的ナショナリズムにおける5本の柱

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ウクライナに対する戦争はプーチン個人が始めたものではありません。この戦争は、プーチンとその周辺の者たちを図式化したロシアの帝国主義的ナショナリズムが始めたものであり、現在も進行中です。

クリミアを占領した直後、プーチンは「私はロシア最大のナショナリストだ」と認めました。「しかし、最も正しいナショナリズムとは、国民のためになるような行動や政策を構築することだ」とも付け加えています。

プーチンの行動と政策は、近隣諸国を征服し、外国の領土を奪うことがロシア国民のためになると考えていることを示しています。ロシアにおけるウクライナ侵略への大規模な支持は、プーチンの公共の福祉に対する見方をロシア社会の大部分が完全に共有していることを証明しました。このような国益の理解は、現代ロシアを支配するイデオロギーである帝国主義的ナショナリズムの本質です。

ロシアの帝国主義的ナショナリズムは19世紀に生まれました。ツァーリズム・共産主義・自由化の試み・そしてプーチンの時代と、常に生き延びてきたナショナリズムです。その形態はさまざまですが、帝国主義・サモデルジャーヴィイェ(専制主義)・西側敵視・メシアニズム・反ウクライナ主義(ウクライノフォビア)という5つの柱は変わっていません。

帝国主義

ブリタニカ百科事典の帝国主義の定義は以下の通りです:

-特に領土の直接的併合や、他の領土に対する政治的・経済的支配の獲得を通じて、権力や支配を拡大する政府の政策、実践、主張を指す。

帝国主義は、ロシアが誕生してから今日に至るまで、ロシア国家の特徴の一つとなっています。19 世紀にロシアが帝国国家として形成されたことがその始まりです。

1917年から1918年にかけて帝国が崩壊しても、帝国主義は崩壊しませんでした。帝国主義は、スターリン主義のソ連において国家政策として生まれ変わりました。ソ連の崩壊も帝国主義を破壊したわけではありません。さらに、1989年から1999年にかけてプーチンの下で一時的に後退した後、ロシアの帝国主義は再び攻勢に転じ、ウクライナに対する戦争で頂点に達しました。

今日、ロシアの帝国主義はウクライナだけでなく、全世界にとって脅威なのです。

サモデルジャーヴィイェ(専制政治)

ロシア語の「サモデルジャーヴィイェ」は、古代ギリシャ語に由来する「autocracy」に相当します。サモデルジャーヴィイェとはロシアの専制政治の一形態で、一人の人間による制限のない権力に基づく政治体制を指しています。

ロシアの専制政治が他の形態と異なる点は、ロシア人の精神と政治文化に深く根ざしていることです。「良い皇帝(ツァーリ)」を信じようとする彼らの傾向では、その人物が「全ロシアの主権者であり専制者」であろうと、「全ロシアの皇帝」であろうと、「書記長」であろうと、「ロシア連邦の大統領」であろうと関係ありません。

ロシアの独裁政治の現代的な形がプーチン主義です。プーチンの統治がしばしば皇帝ニコライ1世の治世と比較されるのも不思議ではありません。この皇帝の治世は軍事的敗北に終わり、独裁者は生き残ることができなかったからです。

近年、プーチンはしばしばヒトラーと比較され、クレムリン政権そのものがファシストと呼ばれています。実際、ロシアの現在の体制は、ツァーリズムやスターリニズムといったロシアの専制主義的伝統の継承者であるだけでなく、ヨーロッパのファシズムの伝統の継承者でもあります。さらに言えば、ヒトラー主義とも言えるでしょう。

ロシアがいつの日か専制政治を排除し、民主主義国家になるという希望はあるのでしょうか?「ロシアでは民主主義は不可能だ。今も、将来も。ロシアが存在するか民主主義が存在するかのどちらかだ」と、最も率直なプーチン主義者の一人であるヴァディム・キルピチェフは主張しています。

しかしながら、ロシアは最近の歴史においてすでに3回、民主化への動きを始めています。第一次、第二次ロシア革命、そしてペレストロイカ(1980年代後半にソ連共産党内で行われた改革のための政治運動)です。しかし、ストルイピンによる弾圧、ボリシェヴィキ独裁、そしてプーチン主義を生み出した1990年代の寡頭政治など、そのたびに権威主義への後退に終わりました。また、ロシアにおける大規模な改革や革命はすべて、敗戦後に始まったことも念頭に置く必要があります。したがって、今回の戦争でのロシアの敗北は、ロシアの民主主義にとって新たなチャンスかもしれません。

西側敵視

権威主義的ナショナリズムには、その存在意義を正当化するために国家を脅かす敵のイメージが必要です。ロシアの帝国主義にとって、伝統的な敵は西側諸国、ウクライナ、そしてユダヤ人でした。「ユダヤ人の脅威」は、ロシア外交のトップのレトリックとして時々顔をのぞかせるものの、公式の場ではもはや重要視されていません。その一方で、非公式な議論の場ではいまだに広まっています。しかし、西側諸国とウクライナに対する敵意はかつてないほど高まっています。

ロシアの西洋に対する敵対意識は、少なくとも16世紀にまでさかのぼります。そしてそれは、19世紀の帝国主義的ナショナリズムの中で、イデオロギーとして形づくられました。1830年から1831年にかけてのポーランドでの蜂起(11月蜂起)は、ヨーロッパにおけるポーランド人に対する大きな共感と反ロシア感情の勃発を引き起こし、一種の転換点となりました。皇帝もロシアの知識人の大部分も、これを帝国の脅威と捉えました。

「ロシア皇帝の言葉は無力か?再びヨーロッパと戦う必要があるのだろうか?それともロシア人は勝利する術を忘れたのだろうか?」という詩の一部とともに、プーシキンが描かれています。

プーシキンは若い頃、デカブリストの友人を持ち、自由を愛する詩の作者でした。彼は、ポーランドの反乱軍について、「結局、彼らは絞め殺されなければならない」と書いています。そして、国家憲兵隊長アレクサンドル・ベンケンドルフに宛てた手紙の中で、「激昂したヨーロッパは、今のところ武器ではなく、毎日狂信的な誹謗中傷でロシアを攻撃している」と激怒しました。自由主義ヨーロッパに対するプーシキンの憤りの頂点は、ニコライ1世の「最上級」の承認を得たロシアの帝国主義的ナショナリズムの最初の詩的マニフェストである「ロシアを誹謗中傷する者たちへ」という詩でした。そして、その詩に対して、かつての友人であったアダム・ミツキェヴィチが批判を含めた詩を書いています(Dziadyの詩:「Do przyjaciół Moskali(モスクワの友人たちへ)」)。

それから2世紀近く経った今も、ロシアの「知識人」たちの傍若無人ぶりは変わっていません。彼らは新参の独裁者のご機嫌をとり、手に負えない隣国を「抑えつけよう」と呼びかけています。しかし、彼らがヨーロッパを、数百万の銃剣を用いてではなく、核兵器を用いて威嚇しているのです。

ともあれ、フョードル・テュッチェフ(ロシアの詩人、外交官)が夢見たような「契約の箱」を携えて西側の廃墟の上に立つ帝国の夢は、実現することはありませんでした。1853年から1856年にかけてのクリミア戦争もまた、西側の敵との対決におけるロシアの後進性と無力さを示すものでした。そして、西側諸国が団結して戦ったその後の紛争でも、ロシアが文明の衝突で勝つことができないことが確認されたのです。

クリミア戦争の地図 出典:ブリタニカ百科事典

西側諸国との対立の中で形成された感情的な恨みは、ロシアの帝国主義的ナショナリズムの基礎となりました。これは、不平、失敗の加害者と見られる人々に対する恨み、敗戦や復讐への願望を生み出しているのです。クリミア戦争の敗北からNATOの拡大まで、団結力を増した西側諸国との紛争におけるロシアの失敗は、集団的な敵意を強め、ロシアにおける帝国的権威を埋め合わせるかのようにカルト的思考を助長しました。私たちは今日、その新たな勃発を目の当たりにしているのです。

メシアニズム

ロシアの帝国主義的ナショナリズムは、軍事行動でも経済競争でも西側諸国を打ち負かすことができないことを示し、そのため彼らはロシアのメシアニズムという考えに頼ったのです。その主張とは 「技術的にも経済的にも、われわれロシア人は西側諸国より劣っているが、われわれはより崇高な精神的価値観を持つということを世界に知らしめなければならない」というものです。

ロシアが人類に提供できる「より崇高な価値観」とは一体何なのでしょうか?この問題に関しては、現地の左派と右派の知識人の意見が奇妙なことに一致しています。彼らのビジョンによれば、ロシア国民は「衰退した」西洋の支配を終わらせ、新しい文明を創造する使命があるというのです。

アナーキストで革命的ポピュリストのミハイル・バクーニンは、ロシア人についてこう書いています:

-宗教的、政治的、法律的、社会的なものなど、西側で法として姿を変えた根深い迷信から解放され、歴史に新たな始まりをもたらし、新たな文明、新たな信仰、新たな法律、新たな人生を創造することを期待している。

宗教保守派の思想家、コンスタンティン・レオンチェフの言葉にも影響を受けています:
-新しい東方国家の元首となるロシアは、世界に新しい文化を与えなければならない。消滅したローマ・ゲルマン・ヨーロッパの文明を、この新しいスラヴ諸語・東方文明で置き換えなければならない。

その後、メシアニズムはボリシェヴィキによって掲げられました。この「より崇高な価値観」は、共産党の編集局で何度か変容を遂げました。ロシアは「世界革命の拠点」、「勝利した社会主義の最初の国」、「ファシズムからヨーロッパを解放した者」、「植民地主義と新植民地主義と闘う者」、そして「世界平和の保証人」であるとされました。しかし、ソ連のメシアニズムは、当時の政治的な宗教とともに衰退し、ソ連の末期には、誰も信じない誇大宣伝に変わりました。

今日、私たちはロシアのメシアニズムを復活させようとする哀れな試みを目の当たりにしています。帝国主義的ナショナリストは再び、すべての人を「解放」し、「救おう」としているのです:ドンバスをウクライナから、ウクライナを「ナチズム」から、人類を西側の支配から、西側をアメリカの支配から、解放しようとしています。ロシアのメシアニズムはついに、むき出しの帝国主義を覆い隠すためのカモフラージュに変わったのです。

反ウクライナ主義

帝国主義的ナショナリズムの核心には、支配国による支配や帝国の存続そのものを脅かす民族運動に対する敵対意識があります。ロシア皇帝にとってみれば、最大の危険はウクライナの民族運動でした。

帝国主義的ナショナリストたちは、ポーランドを失うことについてはどうにか折り合いをつけることができましたが、ウクライナを失ったロシア帝国を想像することはできませんでした。そのため、政治的目標を打ち出し始める前から、ウクライナ運動が活発化する前にそれを抑圧するためにあらゆる努力を払いました。しかし、彼らは失敗しました。ウクライナの国家プロジェクトは、「三位一体」のロシア民族*という帝国主義的な概念との競争において、勝者となったのです。

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ロシア民族がロシア人だけでなくウクライナ人・ベラルーシ人も含めて成り立っている、という帝国主義的ナショナリズムのイデオロギーを指す

帝国主義的ナショナリストたちは、ウクライナとウクライナ人はロシアの敵であるポーランド人、オーストリア人、ドイツ人によって作り出されたという神話を作り上げました。そして最終的にはレーニンとボリシェヴィキによりウクライナとウクライナ人は作られたとしているのです。この言説をプーチンは「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文で採用し、ウクライナの国家と民族の存在における歴史的根拠を否定しました。プーチンは、かつて敵とボリシェヴィキが人為的にウクライナを作り、今は他の敵がウクライナを「反ロシア」として変容させていると考えています。モスクワは決してこのことについて折り合わないだろうと言われています。当時でさえ、先見の明のあるアナリストは、この記事が将来の戦争に対するイデオロギーによる正当化だと指摘していました。しかし、当時それを信じる人はほとんどいませんでした。

ウクライナの領土に対する占領を祝うプーチン 画面上部に「永遠に共に」と表示されています。 出典:Getty Images

ロシアがウクライナに対して侵略を行う中、4月にRIAノーヴォスチはティモフェイ・セルゲイツェフの「ロシアはウクライナに対して何をすべきか」という記事を掲載しました。この文章はロシアの反ウクライナ主義の象徴となりました。ウクライナの人々のほとんどが「ナチス政権によって支配され、その政策に引き込まれ」、したがって「非ナチス化」は必然的に「非ウクライナ化」にならざるを得ないと、ウクライナ人の国家レベルでの抵抗を見て著者は考えたようです。

セルゲイツェフの「非ウクライナ化」計画には、武器を手にして国家を守るウクライナ人の物理的抹殺、「バンデラ主義エリート」の排除、そして「ナチス政権」を支持した残りの国民の処罰が必要であるとされています。ウクライナは国家として消滅し、「ウクライナ」という国名も消滅しなければならない、とされています。彼の主張によれば、ウクライナの領土は「人民共和国」に分割されるべき、とセルゲイツェフは考えています。また、カトリックであるウクライナの西部*を除けば、すべての地域は「ロシア文明」に統合されなければならない、と彼は主張しています。

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ウクライナ西部の地域は比較的カトリックが多い

これらの文書がロシアの国家機関によって出版され、その内容がウクライナにおけるロシア占領軍の実際の行動と一致しているという事実がなかったならば、このようなエッセイは狂人の妄想として無視できたでしょう。

帝国主義的ナショナリストの反ウクライナ主義は大量虐殺を起こすレベルにまで達しています。ウクライナは、ウクライナの国家と国民を脅かす恐ろしい敵に直面しています。ロシアの帝国主義的ナショナリズムと平和共存の合意を結ぶことは不可能です。ロシアを変えることができるのは、ロシアの帝国主義的ナショナリズムが完全に崩壊し、国家の近代化に重点を置き、近隣諸国を抑圧したり外国の領土を奪ったりしない「まともな」ナショナリズムに取って代わられることだけです。

21世紀にロシアの帝国主義的ナショナリズムの居場所はありません。

コンテンツ作成スタッフ

Ukraїner創設者:

ボフダン・ロフヴィネンコ

企画:

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翻訳:

藤田 勝利

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