ロシアによる占領から解放されて3年を迎えるにあたって、私たちはヘルソンの中心部と郊外を歩き、シェルターに降り、医師や兵士、子どもたち、そして今もバラを育てている人々と話しました。この街が今、どのような姿をしているのかを、この目で確かめ感じ取るためです。占領を生き延び、今も息づいているこの街を。
最前線の街
本文:ミロスラウ・ラユーク写真:ヴヤチェスラウ・ラティンシキー
街へ入ると
ヘルソン市民との会話は、どんな話題であれ、2~3分も経つとこの街の最近の歴史における3つの重要な出来事のいずれかに落ち着きます。1つ目は、2022年11月11日、ヘルソン市が占領から解放された時。2つ目は、2023年6月6日、ロシア軍によってカホウカ水力発電所のダムが爆破され、それにより洪水が発生した時。3つ目は、はっきりとはしないものの、ドローンが出現し始めた前後で分かれています。最初はロシア軍が砲撃で街を攻撃し始めましたが、2024年半ばからはドローンで人々を集中的に狙っています。
ヘルソンへの道は常に敵の砲火にさらされています。それは、路肩に数多くある燃やされた車からも明らかです。軍は、最高速度で走行し、必ずドローン探知機を携行するようアドバイスしています。対ドローン用ネットが設置されている地帯を道が横切っています。前方には、無人化し、廃墟と化したように見える街があります。しかし、ウクライナで最も脆弱な都市のひとつであるこの街には、現在約6万人が暮らしています。彼らは野菜を買い込み、歯の治療を受け、自転車に乗っていますが、一部の地区だけであったり、それは防護ネットで守られた通りであったり、そして地下室であったり、での話です。
ドニプロ川から数ブロック離れたところには、通称キルゾーン、つまり占領されたドニプロ川左岸から敵が砲撃する地域が始まっています。洪水の時と同じように、川は再び人々の命を奪っています。また、その土地には、その独特な形状から「花びら(ウクライナ語名:ペリューストカ / пелюстка)」と通称呼ばれている対人地雷が散らばっています。
カホウカダムの破壊
2023年6月6日、ロシア軍はカホウカ水力発電所のダムを爆破し、それにより80の集落が浸水、環境に甚大な被害と人的被害が発生した。ヘルソンは最も深刻な被害を受けた都市の一つである。
チャクラ
「チャクラ!チャクラ!」焼け焦げた車のそばで、年配の女性がアラバイ犬を呼んでいます。
破片で穴だらけの門や、破壊された木々を見回して、再び叫びます。髪には灰が、手のひらには煤が付いています。
「彼らは車に乗り込んだのです」と彼女は息を切らして言います。「その直後に砲弾が命中しました。私の娘が何とか孫たちを車外に引きずり出したのですが、二人とも負傷しています」彼女はもう一度周囲を見回します。「白樺の木が二本、吹き飛ばされて…」
「私は台所にいたんです」と彼女は振り返ります。「爆発音を聞き、悲鳴を聞きました。外へ駆け出したんです。」
焼け焦げた車は森林火災後の動物の死骸のようで、空気は煙で充満しています。近隣の住民たちが少し離れた場所に集まっています。三人の年配の女性が道路脇から様子を見ています。
「ただ座ってTikTokを見ていました」と最初の女性が言いました。「そしたら、ドーン!」「カーテンが落ちてきました」と2番目の女性が言いました。
「急いで家の中に閉じこもり毛布にくるまりました」と最初の女性が続けます。「すると子供たちが『ママ!ママ!』と叫ぶ声が聞こえました」
「男の子の足が見えました、骨が」と二番目の女性が言う。「下の子の」
「2人ともよ」と近所の人が割り込み、すぐに立ち去りました。
静かに聞いていた3番目の女性が2番目の女性に振り向きました。
被害者については、後に下の子の脚が切断され集中治療室にいることを知りました。兄も脚に負傷し、母親は脳震盪と顔面負傷を負っていました。
「チャクラ!」門の近くで女性が再び叫びます。
警官が彼女を慰めようとします。今日は彼はあちこちパトロールするので、どこかで彼女の犬を見つけられるかもしれない、と。
地下にて
着弾地点から数ブロック離れた場所に、第二次世界大戦後に建設された大きなシェルターがあります。今、それは再び本来の目的を果たしています。毎晩、ヘルソン中心部にあるこの場所に十数人が集まり、夜を過ごすのです。警備員によれば、そのほとんどは「小柄な老婦人」だそうです。砲撃が始まると、通りすがりの人々も駆け込んでくることがあるそうです。
避難所には聞き覚えのある吠え声が響きます。警備員は即座にその声を認識しました。爆発音がするたびに、リンダという名のコーヒー色の雑種犬が身の安全を求めて駆け込んでくるのです。
今日、5時ごろに二人の女性が早めに来ました。中年の娘と年老いた母親です。激しい砲撃があり、さらに続くのではないかと恐れ、ここに来たのでした。彼女たちは3年間、毎晩ここに来ています。2人はベッドに腰を下ろすと、リンダはそのうちの1人のそばで丸くなりました。その日の午後、砲撃が始まった時、リンダはどこかに行ってしまいましたが、間もなくここで見つかりました。
80代の別の女性が避難所に到着しました。彼女は一人で夜を過ごすと体調が悪くなると言います。一方で、ここにはテレビがあり、暖がとれて仲間もいます。リンダが毛布の下から抜け出しドアへ駆け寄りますが、吠えません。なぜなら、ここには見知らぬ人はおらず、ただ別の年配の女性がシェルターに入ってきただけだからです。地下は静かで、まるで別世界のように感じられます。地上では、戦争が続いています。
避難所の向かい側、10代のヴィクトルとアンヘリーナがベンチに座り、手を繋いでいます。二人はかつて川沿いの港を散歩するのが好きだったと振り返りますが、今は市中心部に近い場所に留まっています。アンヘリーナの手には、近所で900フリヴニャ(約20USD)で施したばかりのマニキュアが塗られています。
「ここは危険な地域だから値段が高騰しているのです」
全面的な侵略が始まった時、ヴィクトルはポーランドへ逃れましたが、アンヘリーナはこの間ずっとヘルソンに留まっていました。ロシア軍がまだ駐留していた頃、アンヘリーナは街中に青と黄色の旗を描いたといいます。彼女の兄は昨年バフムート近郊で戦死しました。
夕暮れが迫り、ヴィクトルはまもなく帰宅しなければなりません。つい先日、彼が近所を自転車で走っているとドローンの音が聞こえといいます。彼は自転車を路上に置き、茂みに飛び込びました。ドローンは飛び去り、近くで爆発しました。
別れを告げようとした時、アンヘリーナの知り合いである2人の女性が、タバコを吸いながら大声で笑いながらこちらに向かって遠くから歩いてきます。空気には煙とコーヒーと秋の香りが漂います。少女たちが私たちの視線に気づくと、クスクス笑いながら「うわっ!」と言って、笑い声を立てながら素早く立ち去っていきました。
なぜバラなのか?
私たちはコーヒーが飲みたくなりました。ヘルソンで一番美味しいコーヒーは、「プロースティル(ウクライナ語名:Простір)」というお店のオレクシーが淹れるものだと言われています。街の中心部にあり、最近そこは危険ですが、それでも行くことに決めました。途中、カフェのテーブルで外に座っている19歳のバリスタ、クセーニャに出会いました。彼女は、お金さえあればヘルソンを離れる、と言います。クセーニャは数人の人から香った香水であったドルチェ&ガッバーナのライトブルーを買うことを夢見ています。彼女の給料全てで、その香水が2本買えるくらいだ、と彼女は小さな笑みを浮かべて言いました。通りにはほとんど人がいません。
「仕事はいつ終わるのですか?」
「3時です」
「なぜそんなに早いのですか?」
「3時を過ぎると、もう誰も来ないからです」
やがてオレクシーのもとへたどり着きましhた。日が暮れ始め、彼は「プロースティル」の閉店準備をしていました。2023年6月、ヘルソンの一部が水没し、街が混沌と化していた頃でさえ、ここでは完璧なエスプレッソやコールドブリューを飲むことができました。今、オレクシーは毎日街を横断してカフェに出勤していて、そのカフェはすでに砲撃を受けています。
全面的な侵略が開始される前は、カフェには1日200~300件の注文があったといいます。1ヶ月前までは平均20人ほどが来店していたようですが、今は10人前後だといいます。今朝はIT関係者が犬を連れて来ました。次にボランティアのイリーナ、その後、兵士が2人来たとのことです。そして我々、これで5人目だそうです。
「誰も来ない日はあるのでしょうか?」
「一度もありません」
「なぜ働き続けるのですか? 何か象徴的な意味があるのでしょうか?」
「私は単にヘルソンで生まれただけではありません。このコーヒーショップの隣の産科病棟で生まれたのです」
中心部から数ブロック近づいたところに市場があります。ルフィーナは豚肉を売っています。豚足、モモ肉、ヒレ肉、ラードなどです。
「耳は正確に50分茹でないとダメですよ」
「もっと長く煮たらどうでしょう?」
「それじゃあ台無しです、本当に」
ルフィーナはドニプロ地区に住んでいます。「花びら」地雷を車で通過したり、何度も砲火にさらされたりしました。
「戦争で私たちは老けました」と彼女はため息をつきます。
昨年までは市場にはとても多くの人がいたと言います。多くの人々が、特に昨年秋以降、ロシアのドローン攻撃が頻繁になってから、ここを去りました。それでも彼女は1941年と1945年をよく思い出すといいます。「あの頃はもっと怖かったです」と。ただドローンはその当時ありませんでした。
地下道の脇に行くと、深紅、クリーム色、ピンクなどバラがバケツに入って舗道に並んでいます。とても大きな花もあれば、握りこぶしのように小さく固く締まった花もあります。まるで珍しい鳥のようです。
「戦争は続いていますが、バラは今でも売れます」と花屋は言います。
ここには切り花だけでなく、苗も売られています。バラの苗を3本買ったイリーナ・セメニウナは、アパートの外に植えると言います。以前は田舎の別荘があり、自分でバラを育てていましたが、今その別荘がある地域はドニプロ川流域の占領されている地域にあるのです。
爆発音とともに、人々は疲れ切った様子で一瞬顔を上げ、すぐに元の作業に戻ります。
「私たちを理解するには、ここで生活してみなければわかりません」と別の店の主人は言います。
市場にやってきたのはナディア・ティモフィーイウナという90歳近くになる女性です。赤いブラウスに水玉模様のスカーフ、銀糸で刺繍されたデニムジャケットを身に着けています。口紅と丁寧にセットされた白髪が似合っています。
彼女は毎日出かけます。 そして軍の勝利とウクライナのため、また自身の安全のために祈り、「明日も無事に家に帰れますように」と願い、ポケットにニンニクの片を忍ばせます。剪定ばさみを手に家を出て、手入れされていないバラの茂みを見つけると、どこからともなく切り落とします。
「どうしてそこまでバラが好きなのですか?」
「私はすべての花が好きです。そしてヘルソンが花咲く街になってほしいと思っています。勝利した時、街中を花で埋め尽くしたいです」
歪み
かつて花が咲き、ブドウのつるが絡み、リンゴが熟した場所には、今や着弾地点が広がっています。美は姿を消し、グロテスクなものへと変貌しました。多連装ロケットシステムによる攻撃を受け、ヘルソンからの調査チームがチョルノバイフカへ向かっています。複数のロケットが着弾しました。ここにはクレーターと崩れたレンガ塀が残る中庭があります。
「何が当たったのでしょうか?」
「初期の痕跡、口径、被害状況から判断すると、多連装ロケットシステム『ウラガン』のようです」と調査官は慎重に答える。ロシア占領下の地域に親族がいるため、本名は明かしたくないとのことでした。「前線は2キロも離れていません。10分から15分おきに砲撃があります。弾道ミサイルも撃ち込まれています」
私たちは確かに、最近攻撃を受けた現場を車で通り過ぎました。そこでは、煙と瓦礫がまだ立ち込めています。さらに進むと、電線から金属板がぶら下がっているのが見えます。かつてここには小さな自動車修理工場と家がありました。塀のコンクリート板が散乱し、粉々になっています。
「見てください、こういうコンクリート板は、どこかで塹壕を作るのに使われるのです…」と誰かが言います。
廃墟の中で、女性が何百何千もの散らばったニンニクの房を拾っていた。
「どうやって我々が生き延びたのか分かりません」と男性がため息をつきました。彼は壁のひび割れを指さして「見てください、家が歪んでいます。どう歪んでいるか見てください!」と言いました。
その家は本当にペットボトルのようにつぶされたように見えます。
窓は吹き飛び、ベランダは破壊され、内部はすべて破壊されています。数台の車が燃えています。
「家主に何と言えばいいのでしょう?」と彼は問いかけ、そして叫びました。「こんな攻撃を生き延びるなんて!」声の調子が変わりました。「ヘルソンはなくなります。まだ間に合う内に逃げてください、みなさん」
台所の食卓には、兵士の妻であるオーリャと四歳の息子ミーシャが座っていました。
何が起きたのでしょうか?夫が任務の準備で起き上がった時、最初の砲撃の音が聞こえました。彼はオーリャを起こしましたが、彼女は砲撃が過ぎ去るのを願い、もう少し眠りたいと言いました。しかし間もなく爆発音は近づてきました。まだ寝間着のまま、避難所のある隣人の家へ駆け込みました。
手作りのヴァレーニキとペリメニがテーブルに並んでいます。家を片付ける手伝いをしてくれた人たちのために、オーリャが解凍しておいたものです。それに茹でたトウモロコシの鍋も用意されています。男の子が泣いています。彼女は男の子を膝の上に抱き上げます。砲撃の最中、彼が耳を塞ぎながら「ママ、あの人の声、もっと小さくして」と言ったり「ママ、静かにして」と言っていたことが思い出されます。
彼らはここ一年半、彼女の夫と共に暮らしてきました。
「息子は言語発達が遅れていました。ヘルソン州立病院で治療を受けていて、この七ヶ月でようやく話し始めたのです」
そう言うと彼女は付け加えました。
「下の子はお父さんが恋しかったのです」
「実は夫は私たちがここにいるのを強く反対しているんです」と彼女は言う。
「毎日出て行けって言ってます」と彼は隣の部屋から冗談半分で言っています。
「彼の気持ちはわかります」と私は言いました。
「私もです」とオーリャは答えました。「でも…もし彼に何かあった時、私がここにいればすぐに行動できる気がしています。それに、小さな子の主治医もここにいますし、別の場所で一からやり直したくはないのです。どこにいても不安だと思います。もし行くならウクライナを完全に離れなければ。彼なしでは行きません。離れ離れの家族は本当の家族とは言えませんから」
ゲーム
ヘルソンのあるアパートの地下室には子どもたちが集まっています。絵や裁縫、サンボなどのクラブ活動に参加するためです。そのほとんどが近隣の住民です。センターの設立を手伝ったボランティアのイホールに、こうした活動がへルソンに留まることを促していると思うかと尋ねると、彼は首を振りました。さもなければ子供たちはただ路上で無防備に過ごし、学ぶ機会も交流の機会も得られないだろう、と彼は言います。4歳や6歳の子でさえ、ほとんど話せない子もいます。
ここで働く言語聴覚士のイリーナ・フルシェンコは、ウクライナ全土で、特にパンデミックと数年間のオンラインによる学校教育を経て、親たちが言語聴覚士や発達支援の専門家を見つけるのに苦労していると述べています。私は彼女にチョルノバイウカ出身の少年の写真を見せました。
「ミーシュカ!」と彼女は叫びました。
実はイリーナが、言語発達遅延の少年が通っていた専門家だったのです。彼女はここでの活動が目に見える進歩をもたらすと述べています。
裁縫教師のカテリーナは、授業に参加して以来子どもたちが以前よりずっと心を開くようになったと付け加えます。美術教師のイリーナは次のように述べています:
「最初は皆とても内向的だったのですが、今では心を開いてきています。まるで檻が、目の前でパッと開くような感じです」
センターの所長で砲撃で中庭で負傷したオレーナ・ボロディナは、現在ボクシングコーチを探しているとのことでした。イホールは、子供たちに本当にボクシングが必要だと外国の支援者に理解してもらうのに苦労したと認めています。彼らは、それは暴力に関わることだと言い続けていたからです。設備の一部は、カホウカダム爆発後に浸水したスポーツ学校からすでに移されています。
新体操コーチのハリーナは、かつて子供たちにカートゥーンアニメである「カピトーシュカ」を見せた時のことを思い出しています。一人の少女が「怖い」と囁きました。彼らはすぐにそれを止めました。
「ただの『カピトーシュカ』というアニメだったんです」とハリーナは言います。「泡が跳ね回りながら、どうやってオオカミと友達になったかを見せていただけの話なんです」
たまに別の大人が子供の手を引いて部屋に入ってきたりもします。グループはどんどん大きくなっています。子供たちのほとんどは5歳から10歳です。
ミロスラーヴァという女の子が母親と一緒に来ました。母親が部屋を出ようとする前に、少女はホールの向こう側に向かって「自由!自由!」と叫び始めました。
彼女は輪を掴むと激しく回し始めました。そして隣の部屋へ駆け込みました。そこにはマットレスの上にサンボの練習用ダミーが置かれています。子供たちはそれをステパンと呼んでいます。ミロスラーヴァはステパンを壁に立てかけ、その「腕」に飛び込みました。
間もなくして、ソーニャという5歳の女の子が来ました。ミロスラーヴァが飛び降りて別の子供を引っ張ろうと走り去ると、ソーニャはステパンを床に引きずり下ろしました。別の女の子が現れ、自分のものにしようとステパンを取り合います。もみ合いが始まりますが、ミロスラーヴァがボクシンググローブをはめて戻ってくると、3番目の女の子は退きました。
ソーニャがステパンを押さえつけ、友達がパンチを繰り出します。すぐにステパンは再び床に倒れ、3番目の女の子も加わりました。
その間、アンドリーは数枚の体操マットを引きずりながら床を移動しています。彼は女の子たちより4歳ほど年上です。 入手できるものを使って家を作り、小さなデニスがそれを壊さないよう見張っています。
女の子たちがステパンと遊んでいる間、アンドリーは「負傷兵を運ぶ」という別の遊びを提案しました。彼の継父は軍人です。ステパンがまた引きずり出されると、アンドリーは「砲撃だ! 援護が必要だ!」と叫びました。
やがてアンドリーは「ドローンから隠れる場所」だと言って家づくりをしました。しかしすぐにデニスという男の子が駆け寄り、それを壊して遊びを終わらせてしまいました。
アーティスト
「コードネームは何ですか?」
ヘルソン近郊で戦っている兵士であるアンドリー・アンドリューシチェンコに訊きました。
「『アーティスト』です」
ロシア占領下で、彼は壁に愛国的なスローガンを描きました。ある夜、青と黄色のペンキ缶を持って壁にこっそり手形を残そうとした時、二人の子供が加わったことを覚えています。幸い、彼らは捕まりませんでした。
本格的な侵略が始まった最初の日、アンドリーは知り合いに電話して、かつて自分が司会を務めていた地元のクラブに集まった民兵組織に加わりました。約300人が集まったと回想しています。ナイフやスタンガンを持った人もいたと述べています。彼らは協力し合い、困っている人々に食料や医薬品を届け、交代で監視を続けました。クラブには、以前DJショーで使用していたおもちゃの自動小銃がありました。ロシア軍がクラブを訪れた際に数人の青年を殴打してウクライナの国旗を背景に自動小銃を持った彼らの写真を撮影し、「バンデラ主義の巣窟を制圧した」と宣言しました。
そして、8月の初めに、アンドリーがカフェに座っていると、彼を捕まえにやって来ました。別室に連れて行かれ、椅子、水たばこのパイプ、ハンマーで彼を殴り始めました。その後、ヘルソンにある拷問室の一つに放り込まれました。そこで「ゼレンシキーへの電話」という拷問が行われました。
「これは、古い野外電話を電気で通電し、それを性器に貼り付けるというものです。そして質問をされます。『わからない』と答えると、ハンドルが回されて、そして激しい痛みにより意識を失い、水をかけられます。全く意味が分かりませんでした。彼らが何を望んでいるのか、私は本当に分からなかったのです。私は毎日拷問を受けました。それはもはや尋問ではなく、単なる拷問でした。 私を撃ち殺そうともしました。とある穴に隠れるように命じられて、私の頭上を撃ったのです。」
「合理的に見て、彼らにとって何の意味があったのですか?」
「彼らには、それが大きな喜び、ある種の非人道的な快楽をもたらしているのだと感じました」
しばらくして、アンドリーの担当捜査官が変わりました。新しい捜査官は、アンドリーの事件についてまったく何も知らなかったようです。そこで、アンドリーは、次のような話を新しい捜査官にして誤魔化すことにしました:
ウクライナの政治家から金銭的な約束を受けて、一度「ウクライナに栄光あれ」と書いたものの、彼らは彼を裏切って逃げたため、自分がそのツケを払わなきゃいけないことになったので収監されている、と。
アンドリーと私は彼の母校の横を通り過ぎ、かつてスケートリンクがあった場所を通り過ぎました。彼はそこで子供たちが笑って過ごしていた様子や、真剣な顔をしながらスケートをしつつも何度も転んでいた男性たちのことを思い返しています。春にロシアの誘導爆弾がスケートリンクを直撃し、スケートリンクは完全に破壊されました。今ではその場所は輸送中に潰れたキャベツのように見えています。金属板が四方八方に引き裂かれ、鉄筋が突き出て、内部は黒くなり腐敗しています。
近くでは16歳のミレーナ、13歳のヤリク、16歳のイェホル、18歳のサーシャという10代の若者たちが原付バイクで駆け回っています。
「今のヘルソンではどのように過ごしていますか?」
「まあまあです、ただ走り回っています」とヤリクが言います。
サーシャはスピードを上げ、前輪を浮かせました。ループを描いて再び跳ね上がり、バイクの上でバランスを取っています。1台あたり16,000~17,000フリヴニャ(約380~400USD)のスクーターを少年たちは最近購入しました。アンドリーは彼らを見つめ、それが妥当な価格かどうか考え込んでいます。
若者たちはエンジンを空吹かしし続けている一方で、アンドリーが話を終えました。ロシア軍は結局彼を解放したのです。
「歩いてたら、昔から知ってる女の子に会いました。 昔から親しかった子です。 近づいてみたものの、彼女は私を認識しませんでした。 名前を呼んでも、それでも気づきませんでした。 まあ、きっと私は浮浪者のように見えたんでしょう。ひげが生え、悪臭を漂わせ、あちこちに痣があって、肋骨も砕けてたんですから」
アンドリーが彼女の幼い頃のあだ名で呼んだ時、彼女はようやく彼を認識し、駆け寄って彼を抱きしめました。
狩り
アンドリーは、運が良かったと言えるでしょう。この若者たちや、ここに挙げた多くの人たちもそうかもしれません。一方で、もっと状況が複雑な人もいます。
病院の庭には、ドローン対策用ネットが張られています。建物は数カ所壊れています。川がすぐそばに位置しています。
銃撃がある時は、患者を病室から移動させます。病院として使える避難所もあるとのことです。
「ある時は、砲撃の最中に、ある手術室から別の手術室へ患者を移動させたこともありました」
そして今、砂袋で塞がれた窓の向こうから、爆発音が遠くでしているのが聞こえてきます。通常、警察は負傷者が搬送されることを病院に連絡します。そして、例えば春先には、乗り合いバスが攻撃されたとの報告がされました。
「数分後、運転手が乗客全員を搬送してきました。残念ながら、犠牲者もいました」
数人が入院し、1人の女性が死亡、運転手は軽傷でした。
「彼はこれが乗り合いバスだとわからないのでしょうか?」ロシアの無人機オペレーターのことを指しながら、外科医は話しています。「バス停で乗客が乗り降りしているのを見れば、軍ではないとわかるでしょう?」
数日前、ヘルソン中心部でロシア軍が再び乗り合いバスを攻撃しました。その場所は整理されておらず、自動車の部品、飛び散った黒い油、街路樹や栗の木の折れた枝が散乱しています。銃声が聞こえたため、私たちは長くその場に留まりませんでした。
「ピーク時になれば、私の病棟には50床のベッドがあります。35名が地雷や爆発による負傷を負っています。これほど悪意に満ちた攻撃、そしてこれほど多くの負傷を負った患者は、これまで見たことがありません」
医師の診察室を出ると、別の部屋で昼食をとる患者たちが、半開きのドア越しに目に飛び込んできました。他の患者たちには、看護師が自ら食事を配っていました。廊下のドアのそばには、近くに住んでいて朝に「グラード」の攻撃に遭った看護師のオリハがいました。彼女は、まず自宅にいる際にその音を聞き、それから公園を通って仕事に行く途中で再び砲撃に遭いました。
切断手術を受けた人や矯正器具を装着した人たちがいる病室に入りました。公共事業従事者のセルヒーは、かかとの一部が吹き飛ばされ、医師は切断せざるを得ませんでした。左足はわずかに負傷しただけで済みました。そして、トロリーバス運転手のオリハは、自分の職業を天職であり、人や車が多い街を走り人々と働くことが好きだと言います。彼女はそのことについて話す時、笑顔を見せます。以前、オリハは、砲撃の最前線となるため閉鎖された路線を走っていました。つい最近まで、8番、9番、12番の路線で働いていました。
彼女は自分のシフトを終えて帰宅途中、自宅のある通りに差し掛かったところでドローンの攻撃を受けました。オリハは袋を道に置き、木の下に身を隠しました。ドローンは旋回し、やがて静止して彼女の居場所を探しました。そして爆発が起きました。爆風で彼女は倒れ、両足から血が出ていることに彼女は気づきました。彼女はドローンに狙われていたのです。
足元
「空と地面をよく見てください」と誰もが私たちに言いました。
地面に「花びら」地雷が落ちているかもしれないからです。街には松葉杖をついた人が多くいます。このような種類の地雷はかかとを吹き飛ばすことが多いからです。
病院を歩いて出ます。次の待ち合わせ場所は近くです。葉は落ち、その下に「花びら」地雷が潜んでいるかもしれません。ここではドローンに見つからないように木々の下を歩く必要があります。
家々の間、背の高い木々の下を、松葉杖をついた女性がこちらに向かって歩いてきます。遠くから彼女は微笑んでいます。
オレーナは近隣に位置する村であるサドヴェの村長です。今も20~30人が住んでいるとのことですが、そのほとんどが高齢者です。時々誰かがスクーターで野原を越えてパンを届けてくれるようです。
約1年前、オレーナは「花びら」地雷を踏みました。それにより、かかとの一部が吹き飛びました。
「頭の中がめちゃくちゃになりました」とオレーナは言います。「神よ、息子はどうやって教育を受けられるのだろうか?彼は学校を卒業したばかりなのに私は仕事もできなくなる、なぜなら障害を負うことになるのだから。家族の大黒柱が自分だけなのに…と、ずっと考えを巡らせていました」
我々が先ほど訪れたのと同じ病院で、彼女の村から最も近い医療施設に彼女は運ばれました。
「義足はあるけど、すごく不快で、ひどく擦れます。今は使えません。最初の4ヶ月は、まるで絶えず電撃を受けているようでした。バルコニーから飛び降りたくなる瞬間さえありました。薬を飲み続けても、何も効かないのです」
オレーナは、髪を染め終えるために美容院へ向かう途中です。今はボランティアセンターで働き、村の事務を手伝い続け、元クラスメートのアパートに滞在しています。息子と母親はドイツへ渡りました。
私たちは別れを告げ、さらに一つブロックを歩きました。前方の通りはネットに覆われています。市場やカフェにはより多くの人々が集まっています。少女がキックボードを走らせ、犬たちが駆け回っています。テラスでは二人の老人がお茶を飲みながらチェスの話をしていて、そのうちの一人はちょうど盤と駒を買ったばかりのようです。
母と娘が近くに座っています。24歳の兵士アンジェリカは数日間の休暇の間に故郷を訪れました。彼女は前線にさらに近い都市であるクラマトルシクの近郊で勤務しています。
「クラマトルシクとヘルソンを比べるとどうですか?」
「ヘルソンの方が危険です」と彼女は言います。
アンジェリカの母はかつて川沿いに住んでいましたが、今は高台へ移りました。娘に会えて嬉しい様子でしたが、すぐに涙がこぼれました。明日アンジェリカは前線に戻ります。今日はかつての担任教師を訪ねる予定だそうです。「気をつけて、足元に注意しなさい」と母は言いました。
10年先を見越して
ヘルソン警察は地下で活動しています。ヘルソン州警察のトップであるロマン・コジヤコウは、最近のロシアの犯罪(橋を渡って島に侵入、乗り合いバスへの攻撃など)についてコメントし、結果的に警察と政府機関のおかげでヘルソンのでの暮らしは続いていると述べました。
ロマンは副官たちを紹介し、その副官たちは各自の業務内容を簡潔に説明し、部下のうち誰と話したほうがよいかを勧めてくれました。
バスターミナル近くで、刑事捜査局の職員エフヘニー(安全上の観点から名前は変更)に会いました。
彼は、占領者がヘルソンと周辺地域にいたこの8か月の間に大規模な略奪、拷問、強姦、殺害が占領者から人々に対して行われてきたため、彼と彼の同僚たちはこれから何年(あるいは何十年)にもかけてやるべきことがたくさんあるだろうと述べています。
「たとえば、ある人は海外に逃げて、それから何が起こったのかを認識して、私たちに連絡してきます。私たちの計算では、ヘルソンだけで500人以上が拷問を受けました」
エフへニーが最も衝撃を受けたのは、民間人を殺害する際の敵の冷酷さと残虐さである、といいます。例えば、3日前、占領下の村の一つで、ロシア軍が60代の地元住民の家を訪れ、自動小銃で彼の足を撃ち抜きました。そして、助けようとした隣人たちに対しても発砲しました。
警察はオープンソースから情報を得ていますが、それよりも目撃者からの情報が多いとのことです。あるいは、ある拷問室では毎日人々にスプーン一杯のお粥とゆで卵1個しか与えられていなかった、という事例もあるとのことです。そして囚人たちは「139個の卵」という言葉を誰かが口にしているのを耳にしました。
別の警察官のドミトロ(こちらも名前を変更)とは、自由広場から100メートル離れた場所で会いました。彼の部下は、犯罪者や行方不明者を捜索しています。ロシア人に殺害された人たちがどこに埋葬されているかを地元の人たちがよく教えてくれると、彼は言います。しかし、すべての人を見つけることができるわけではありません。第二次世界大戦中にはこの近くのドニプロ川左岸で激しい戦闘があったと、彼は話します。
「80年が経った今でも、砂浜に白い骨が見えることがあります」
頭上には街路樹の枝が密生し、大きな葉が歩道に落ちています。ドミトロはコーヒーをすすっています。すると突然、ドローンの音が聞こえました。それはすぐ途絶えて、すぐ近くに位置する自由広場の角で爆発がありました。ドミトロはそれに対してまったく反応せず、行方不明者の捜索に関する話を続けました。
ある時、彼らは爆破された装甲兵員輸送車のそばで人間の指の骨の一部を見つけました。DNA鑑定の結果、それは行方不明者の体の一部であることが判明しました。
「それから調べてみると、その青年は生きていたんです!」
彼は先に行方不明者として登録されていたのです。しかし実際には、指を失っただけだったのです。
このような仕事以外にも、警察官には多くの「昔からの」事件、つまり日常生活に関わる事件があります。
地面にぶどうが落ちている、枝に腐ったぶどうがぶら下がっている、ぶどうが枯れて病気になっている「問題のある家族」の庭に私たちは入ります。
コミュニティの警察官であるヤロスラウ・マスロは、ここには母親と2人の子供が住んでいて、母親は酒を飲んでいて子供たちは病気だと述べています。家の中ではテレビが大音量で流されています。13歳のヴァースャは、ミッキーマウスの青いタイツを履いて横になっていて、息をしていないようです。彼はてんかんで、最近発作を起こしたようです。
彼の兄で26歳のルスランは買い物に出かけました。母親のテチャーナはベッドに座って、頭を抱えています。脳腫瘍で、ミコライウの医者に行く必要があるといって泣いています。
「つらいよ。もう私は死ぬよ、みんな」
テレビの音が大きすぎて、誰が何を言っているのかまったく分かりません。長男が店から戻ってきます。彼は子供のように振る舞っています。
街の壁
街が持ちこたえられるためには、壁を支える必要があります。
クリシュナ意識国際協会のメンバーが20人ほどヘルソンに暮らしているようです。一般的な家の庭に私たちは入りました。食料を必要としている人たちのための食事のための炊き出しが、作成途中のプールの中で行われています。そのプールは、大きなボイラーのようなもので、お祭りから運んでこられたもののようです。戦争下に、このコミュニティは「Food for Life」というプロジェクトを立ち上げました。食事は「神様に味見してもらう」ためしばらく置かれてあり、その後市内の7か所に配られます。橋がまだ使用できた頃には島にも配られました。
一般的な住宅で、歌とともにダンスが始まりました。誰かが近づいてきて、車を隠すように私たちに言いました。ドローンに狙われるような場所に車を止めてしまっていたためです。
コミュニティメンバーの一人であるキリロが、ヘルソン近郊、アントニウカ近くにある彼らの寺院について話してくれました。その寺院からはきれいな景色を見ることができて、その寺院に多くを注ぎ込んできましたが、今はもう入ることができない、とキリロは語ります。占領中、そこでは激しい戦闘があったとのことです。祭壇と台所はコミュニティにとって神聖な空間ですが、ロシア人が侵入してきて全てを冒涜していきました。
キリロは、最近祈りをしている最中に負傷しました(愛犬も隣にいました)。ドローンが飛んできて、壁が落ちてきました。祭壇の上のものは何も動かず、ただ埃が落ちてきただけだったと彼は回想しています。彼と愛犬は軽傷を負いました。
ヘルソンには、コステャンティニウカやポクロウシクほどではないものの、多くの廃墟が存在しています。街は比較的整理されていますが、川沿いを長い間誰も歩いていないことが見て取れる様子になっています。それでも、誰かが今も壁を支えているのです。治療をし、食料を供給し、清掃をし、そして壁が崩れた場所からの避難を行ったりしているのです。
ボランティアのロスティスラウ・クリクは、アントニウカへの避難準備を進めています。彼が拠点とするヘルソンの「Strong Because Free」という財団の中庭では、街路樹が真っ二つに割れており、何度も砲撃を受けています。しかし、彼が向かう場所はさらに危険な場所です。彼らの装甲車は破片で穴だらけになっていて、窓ガラスは割れています。何度も爆撃を受け、「花びら」地雷の上を何度も通過しました。
ロスティスラウが思い出す最も大変だった避難の一つは、体重120キロで自力ではほとんど動けない14歳の少年の避難でした。また別のケースでは、2頭のロバを避難させたこともありました。積み込むのが大変だったそうですが、与えられる餌がなかったので、ミコライウに連れて行ってほしいと頼んだそうです。
ロスティスラウが避難の詳細を確認するために席を離れている間に、ボランティアのイホールが到着し、チョルノバイウカが多連装ロケット砲による砲撃を受けているとイホールが報告しました。そこから人々を避難させるよう要請があったとのことです。
「ここから出ていきたくないと答えられるのは、よくあることです。お金がないから、家を出たくないという人もいます。誰が家を貸してくれるのかわからないのです。学校や幼稚園に一時的に泊まることはできますが、子供がいる場合、動けない人が避難する場合、ペットを飼っている人の場合など、避難して適切に再定住できるような取り決めが他の地域と確立されていないのです」
イホールは、廃墟となった自宅を見に来た男性のことを思い返します。何も残っていないことに気づいた彼は、心臓発作で倒れ、亡くなりました。
外国ナンバーの車が庭に入ってきました。そこから出てきたのは、ロシア出身の英国人でウクライナ語を話すオレーフだった。彼は20年間ロシアに行っておらず、ロシアへの愛着も全くないと言います。4月にガソリンスタンドでイホールと出会いました。その日は彼の誕生日でしたが、アントニウカで出血がひどい女性の避難を依頼されました。彼女を病院に搬送した後、イホールはコーヒーを飲みに立ち寄り、同じ日にボランティア団体の一つに救急車を届けていたオレーフを紹介されました。オレーフによると、これまでにウクライナ軍に41台、ボランティア団体に3台の車両を供給したとのことです。彼は本格的な侵略が始まった最初の数日間にボランティア活動を始めました。ウクライナ語はどこで学んだのかとイホールに尋ねると、彼はこう答えました:
「私たちは戦争から学んでいるのです」
帰還
35歳のデニス・ボルダクと会う約束をボランティアの方々とこの中庭でしました。足の一部が切断されていますが、彼の一歩一歩は力強く安定しています。
2023年、デニスはドネツィク地方で戦闘に参加し、地雷による爆発で負傷しました。9ヶ月間治療を受けましたが、彼曰く「足が全く動かなくなってしまった」そうです。走ることもできず、まだ破片が足の中に残っていたのです。そこで彼はヘルソンに戻り、警察で仕事を続けることを決意しました。
デニスには16歳のソフィヤ、11歳のリーリャ、5歳のクリスティーナという3人の娘がいます。兵士だった弟のヴォロディーミルは2025年6月に行方不明となりましたが、最近DNA鑑定で一致しました。占領から解放されたばかりのビロゼルカでヴォロディーミルはウクライナ国旗を掲揚しました。彼は11月11日の正午前にヘルソンに到着した最初の人々の一人でした。
数日前、ヴォロディーミルは埋葬されました。
なぜ他の場所で仕事を探さなかったのか私たちが尋ねると、「両親はここ、ヘルソンにいるんです」と彼は答えました。
「ドネツィクと変わらないですが、ここではようやく深呼吸ができる、家に帰ってきたのです。傷の治りも早くなりました」
前線に行くことについて、妻や兄、近所の人たちは彼を思いとどまらせようとしました。
「でも占領されていた時、解放されたら兵役に就くと心に誓ったんです」
徴兵令状を受け取るためだけに、わざと検問所を通過したこともあるそうです。
負傷する前、妻と娘たちは誕生日にクラマトルシクに見舞いに来てくれました。後にハルキウに送られた時も、戦友たちが家族を連れて来てくれました。
「足にも腕にも包帯が巻かれていました。二人の年上の娘が近づいてきて抱きしめてくれましたが、末っ子は『ミイラみたい』と言って怖がっていました」
妻は泣いていましたが、夫がやっと家に帰ってくると思い安心してもいました。
未来派(フトゥリズム)
この街の生活について語る時、人々はしばしばそれをシュルレアリスムだと表現しますが、その言葉は適切とは言えません。
現在のヘルソン地方にあたる土地は、ヘロドトスによってギレヤと呼ばれていました。1910年代、ヨーロッパを代表する未来派芸術家の一人であるダヴィド・ブルリュークは、自身のアバンギャルド芸術グループに同じ名前を付けました。ブルリュークは生涯の大半をこの地で過ごしました。彼が思想を形作ったのはヘルソンであり、その1世紀後にこの街から逃亡するロシア軍が彼の絵画を盗み出したのも地元の博物館からでした。
ダヴィド・ブルリューク
ウクライナの芸術家、未来派、詩人、芸術理論家、文芸・芸術評論家、出版者で、20世紀初頭のウクライナ・モダニズムを代表するクリエイターの一人。
ブルリュークは「A Slap in the Face of Public Taste」というマニフェストを書き下ろしました。これは、古い文化的伝統を打ち破り、新たな美学を創造するよう呼びかけるものです。未来派は、誰も見向きもしなかった場所に美を求め、多くの人が廃墟や衰退を連想する場所に詩情を見出そうとしました。
現在のヘルソンは、通常は生活することなどありえない場所で生活が行われている場所です。それは、バラが咲いている一方で人々の足を吹き飛ばす「花びら」地雷が散らばっているような状況であり、私たちが通常理解している「街」という概念からへルソンという街を切り離しているのです。
へルソンを去る際に、スイカを買うために私たちは立ち止まりました。私たちの後ろにいた女性が、オデーサではスイカは1キロ15フリヴニャだ、と言いました。キーウでは1キロ40フリヴニャだと私は言いました。へルソンでは1キロ8フリヴニャです。そして、占領、洪水、砲撃についてなど、いつもの話題に戻っていきました。
スイカを売っていた人が、ロシア人がここにいた時彼らは彼を殴った、と何気なく話してくれました。
「何故殴られたのですか?」と私は訊きました。
彼は鋭く答えました:
